2018年4月20日金曜日

【4月19日(木)】 そう何度でも 何度でも 僕は生まれ変わって行ける [住民756日目]

結論から述べると、このたび佐宗は、しばらく和泉地区を離れることとなった。

緑のふるさと協力隊として一年間、
住民として二年間、あいだに車の旅を三ヶ月間ほど挟んで、
四年目に突入したところだったけど。

神奈川県の方で、仕事の御縁があったことによるものだ。
そこに至るまでの経緯は、大小さまざま悲喜こもごも。
後述していくが、文字ばかりになるので、興味のある方だけご覧いただければ。

本来ならば、お一人おひとりと話をして周りたいところだけど。
その余裕も無いので、取り急ぎ、この場での報告とさせていただきたい。

まずは、住居が定まり次第、すぐに引越しとなる。ゴールデンウィーク前後だろうか。
仕事は、とりあえず来年3月までの契約。以降は和泉に戻ってきたいと思っているが、
向こうでの生活を継続するかもしれないし、他の選択肢になるかもしれない。
先のことは、分からない。



その仕事というのは、鳥獣関係である。
会社として仕事としてプロとして、シカなどのいわゆる有害獣を捕獲するというもの。
要するに、職業猟師・職業ハンターといえる。

これまでの有害獣捕獲は、主に猟友会に資格が与えられ、一任されてきた形。
しかし獣の数は全国的に増え、従事者の高齢化は進み、後継者もいない状態。
従来のやり方では間に合わない。そこで最近、法律が変わり、
一般の法人でも携われるようになったのだ。ざっくり言えば。
自然界がどのように変遷していくかにもよるが、これから先、必要とされる仕事である。

その先駆けとして、少人数で頑張っている会社。
求人を見つけたときには、これこそ僕がやりたい・やるべき仕事だ、と感じた。
富山三重でも獣害関係の求人に応募し、後者は合格通知をいただいていたのだが、
丁重にお断りした。捕獲専門の形というのは、今回の神奈川のものだけだったのだ。

福井のド田舎に移住して知った、有害鳥獣による被害。
僕も一助になれたらと、狩猟免許を取得し・猟友会に入り・猟銃の所持許可も得た。
しかし、学べる機会というのは非常に少ない。
銃を持ってから3年が経たないと有害捕獲の従事者に任命されないので、
冬場の狩猟期間に何度か出猟するのみ。これでは、なかなか身に付かない。
猟友会にしても、やり方が昔のものだったり、マナーや意識が高くない部分があったり。
ちょっと、しんどいなと思う面があったのも事実。

法人が事業として行う場合には、3年の制約も関係ない。
これは早期に学んでいくうえで、非常に大きい。
せっかく縁あって足を踏み入れた世界。これからも携わっていきたいし、
担っていくのが責任でもあると思うから。興味も、日増しに大きくなっていたのだ。
職業として本気で取り組みながら、学んでいきたい。
そしてそれを将来的に、和泉地区に還元していければ幸いである。

仕事のほとんどは近隣県への出張で、ガチの山に籠ってのテント泊もあるという。
おもしろそうじゃないか。自転車の旅で野営した経験が活かせると良いが。



つまり、鳥獣関係の仕事をしてみたいと思った、というのが今回の理由ではあるのだが。
それ以前の、発端となる想いもあった。
このままの状態で和泉地区にいても、表現悪くいえば、ジリ貧だったのだ。

人手不足のところへあちこち手伝いに行く、田舎のよろず屋・何でも屋・フリーター。
それなりに感謝されるのは良いけど、これといった知識やスキルが身に付くわけでもない。
都合よく使われる存在というのも、おもしろくない。
そろそろ何か、自分の専門といえる分野を開拓しないといけないのではないか。
そんな焦りのような感情は、にょきりと芽生えていた。
このさき鳥獣の分野がどうなっていくかは未知数だけど、それはそれとして。

あと、結局どれもバイトなので、賃金が低い。
「田舎だから金つかわないだろ」とか言われるけど、実際はラクではない。
車の維持費やガソリン代、いろいろ所属している会の関連出費、
狩猟や銃に係る経費、なんやかんや交際費、その他に支払いが諸々もろもろ。
「嫁さんもらわなあかん」とかも言われるけど、とてもそんな状況ではない。
金銭じゃない価値観や幸せは理解しているが、現実問題、お金も必要だ。
そういった面でも、いい加減に惨めさを感じていた。

和泉地区や大野市で就職すれば話は早いし、誘っていただいたところも複数ある。
でも、べつだん興味も無い仕事に妥協して就くのも、僕は嫌だ。
「なんか事業を興せば」「より処で稼げるようにしなよ」なんてことも言われるけど、
そんな温い社会じゃないでしょ。いまの僕には、何の能力も無いわけだし。
あるいは、神奈川の会社で得たものを活かし、将来的に和泉地区で何かできるかもしれない。
そのあたりは全く分からないけど、可能性はあると思う。



人口500人を切ったド田舎の暮らしは、素直に楽しかった。
人と人とのつながりは半端なくて、みんな温かい良い人たちで、
僕の求めていた「人間らしさ」があって。
そこを離れていくのは淋しいけども、ここは思い切って、生まれ変わるときだ。

ただ、一番の懸念というか責任を感じているのは、より処である。
自分が発起人として立ち上げ、いちおう代表として続けてきた非営利カフェ。
車の旅のときも三ヶ月間ほど、スタッフのお母さん方に任せっきりだったが、
今回はもっと長くなってしまう。皆さんへの負担を増やすのは心苦しいけど、
できる範囲で続けていただければ嬉しい。
そもそも、僕がいなくても地区全体で盛り上げて欲しい、という想いもあるけど。

水曜日に休みを取れれば、また行事のときなどに、折を見て帰って来たいとは思う。
和泉地区は間違いなく僕の第二のふるさとであるし、
むしろ第一と言っても過言では無いくらい、僕の拠り所といえる地域である。
捨てるとか見限るとかいうつもりは微塵も無いので、そこは誤解なきよう。

色々なご意見ご感想があるだろうし、勝手だと言われるかもしれない。
ただ、これは自分のためであり、将来的には和泉地区のためにもなることだと信じ、
決断に至ったものだ。僕もいま、正直いえば不安の方が大きい。
だが、どう転ぼうとも、絶対に大きな変化・成長に繋がるとは確信している。
修業あるいは修行に出ると言っても良いのかも。



ちなみに新しい仕事は、基本的に土日祝が休み。
平日休みのほうが好き派だけど、しばらくは一般ピーポーな休日体制になる。
というわけで関東圏の皆さん、遊んでいただければ嬉しいので、
気軽にお声がけいただけると喜ぶので、何卒よろしくお願いしたいので。
なかなか遊び相手がいない、というのも田舎暮らしのツラい部分ではあったので。



原稿用紙7枚分くらいになってしまったが、ここまで読んでくれた方はいるのだろうか。

そういったわけなので、このたび佐宗は、猟師になることにした。
まずは、ご報告まで。


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